hmnの妄言

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「読売テレビアナが「文化人」を「害悪」批判 三浦瑠麗氏が猛反論」に思う事

第一印象は、「野村明大というアナウンサーは攻めてるなぁ」という印象。

「害悪」という言葉も、ちょっと言い過ぎな感があるけど、気持ちはわかる。

目次

"人流を減らしても感染者が減るわけではない"

確かに、その可能性がないわけではないし、"研究"する事は自由だし、全体の流れに反してでも"研究"する人には尊敬の念を感じる。

ただ、公共の電波での発信と"研究"だと、だいぶ話が違うと思う。

直感的に考えると、新型コロナの性質から考えて"人流を減らしても感染者が減るわけではない"という可能性は、ほぼないだろうというぐらい小さいのではと思う。

おそらくは、"人流を減らしても感染者が減るわけではない"という研究者は、かなり少数派なのではという気がする。

また、世界中で新型コロナの状況で、明らかに人流が減っているように思われる。

上記のグラフを見る限りだと、ロンドンの公園以外は大幅に人流が減っているように見える。

因果関係、エビデンス

以下、三浦さんのコメントから

人流とは昨秋のようにそれだけで感染拡大には繋がらない場合もあり、減少との因果関係を確実に証明できるわけでもありません

コロナの抑制に因果関係があるのか?と言われれば、確かにわからない(というか、わかるわけがない)けど、少なくとも、世界中の多くの人々が、直感的に"人混みに入らない方が感染しない"と認識しているのだろうとは思える。

世界中が向いている方向に反して、公共の電波で逆行する発言、しかも場合によっては死者を大きく増やすような発言をするからには、それこそ確度の高い"因果関係"や"エビデンス"が必要なのでは?と思う。

個人的には、発生して1,2年の事象で、因果関係だエビデンスだが出るわけないと思うし、出てくる情報を指標にするくらいしかできないと思う。

簡単に因果関係だエビデンスだを反論の理由にする人は、"研究"や"科学"というものがわかっているのだろうかと疑問に思う。

繰り返しになるけど、"研究"は自由だと思う。

ただ、逆行してテレビで発信するなら、少なくとも、それ以上の"因果関係"や"エビデンス"が必要ではないかと思う。

簡単に"因果関係"や"エビデンス"を理由に反論する人が、それ以上の"因果関係"や"エビデンス"を提示するところは、ほとんど見かけない。

個人的には、そういう人の研究姿勢に疑問を感じるし、研究者として信頼できないと思う。

複合要因で感染が左右される時に一つの因子を『絶対』というのは非科学的ですねえ

以下の野村アナウンサーへの返しだと思われるけど、ちょっと曲解しているような気がする。

人流を減らすことがベスト選択かは分かりませんが、感染者が減ることは、『絶対』です

『絶対』

『絶対』は言い過ぎだと思うし、確かにあまり科学的ではないと思う。

ただ、研究者ならともかく、アナウンサーにそこまで求めるのは大人げないなぁと。

際限なく言えば、アナウンサーも全員、論文呼んで検証しろとか、何でも言える。

アナウンサーの役割はそういう事じゃないと思うし、それくらいはいいのではという気がする。

曲解?わざと?

野村アナウンサーの以下のコメントは、「人流を減らす事が、感染者が減る事の要因の1つとなっている事は『絶対』」という事だと思われる。

人流を減らすことがベスト選択かは分かりませんが、感染者が減ることは、『絶対』です

『絶対』は科学的にはちょっと言い過ぎだとは思うけど、『確度が高い』と置き換えれば、それほど的外れではないと思う。

三浦さんの以下のコメントは、幅が広くて解釈しずらいけど、印象としては「複数要因あるのに、人流を減らす事が『絶対』的な効果(主要な効果)があるというのは…」というような感じに見える。

複合要因で感染が左右される時に一つの因子を『絶対』というのは非科学的ですねえ

あくまで、印象で、実際の意図はなんとも言えないけど、これに限らず三浦さんの話は、無駄に話が難しくて長く、曲解される余地が多すぎる気がする。

たいていはそうでもないのに、要所要所で織り交ぜてる感じが、わざとなんだろうかと感じてしまう。

あまり好きになれない

三浦さんがテレビに出始めたころは、論理的な話が多くてちょくちょく見てたけど、そのうち見ないように。

(以下、昔テレビで見ていた頃の三浦さんの印象です。ちなみに、大阪府知事時代の橋下さんも似たような印象)

幅広い論理 (もしくは論理の取捨選択)

三浦さんの論理が崩れる事は少ないと思う。

ある論理に対して、それに反する論理も、見方の違いだけで、論理自体が間違ってるという事は少ないと思う。

三浦さんの場合、大抵はこういう話もあるというスタンスで、明確なポジションをとらない印象。

都合のいい論理(もしくはデータや論文)を持って来れば、それが間違っているという事は少ない。

論理矛盾がある出る場合はあると思うけど、それも、「こういう話もあるというスタンス」なので、例として上げただけと言えば、それ以上追及もされない。

両論、もしくは多様な論理を紹介するのはいいと思うけど、それを"悪用"して、都合のいい論理だけ持ち出している感じがどうも…

ポジション取って都合のいい論理で固めて戦うのはありだと思うし、当然かなとも思う。(両論併記でフェアに戦うのは、より好印象)

ポジション取らずに両論併記でバランスよく紹介してもらえるのも、ありがたいと思う。

ただ、表面上ポジション取らずに都合のいい論理で誘導、追及にはのらりくらりは、ちょっとどうかなという気がする。

深い考察 (もしくはミスリーディング)

また、先述のように、無駄に話をややこしく、長くして、曲解やミスリーディングを狙っていると感じる事も多々。

無駄に難しく長く、かといって数学や哲学のように解釈を限定してるわけではなし

解釈の幅が広く、その解釈の中には妥当と思われる解釈もあり、それが崩れても別の"曲解"に逃げる事もできるから、やはり深く追及されることは少ないという印象。

まとめ

今回の話は、野村さんの『害悪』、『絶対』は言い過ぎかなと思うけど、三浦さんの返しの方が行き過ぎな印象。

三浦さんについては、昔テレビで見ていた感じだと、例えば田原総一朗さんなど、特に高齢の方に対して、要所要所で「おじいちゃん…」というような「やれやれ」といった感じで優しく諭すように(もしくは、人をバカにするように)話すのが好きになれなかった。

今はどうかわからないけど、今回の件で、やはり、あまり好きになれそうにないなと感じた。