「芸能人が投票呼びかけ」に感じる気持ち悪さ
以下の記事をみて、どこか気持ち悪さを感じたので、思ったことをつらつらと。
「芸能人が投票呼びかけ」だけで終わらないために。発起人が思う、タブーを破り政治の会話ができる社会
目次
- 投票に行かない理由
- 投票率を上げたいなら…
- 不利でも"投票行こう"というんだろうか?
- 投票に行く理由
- まとめ
- 追記: 「立候補します」「立候補しよう」とは何故言わないんだろうか?
- 追記: #わたしも投票します 動画
投票に行かない理由
投票に行かない人は、意義が見出せないからだと思う。
特に若者世代は、よく知らないおじさんに何万、何十万分の1の影響力の一票入れに行くより、目の前の勉強や仕事、もしくはそのための休息に時間を割いて、自ら将来を掴むことに力を注いだ方が万倍増しと感じるんじゃないだろうかと思う。
仕事や勉強の疲れを癒したいという気持ちもあるだろうし、人によっては将来影響を持てるように心血を注いだ方が、変化に寄与する可能性が小さい一票を入れに行くより価値があると思っている人もいるのではと思う。
投票率を上げたいなら…
記事内の動画の内容はぼやっとした話ばかり。
そんなに行かせたいなら、普遍的な"行く理由"を言えばいいと。
明確な意義があれば、よっぽど行く人は増えると思う。
でも、そんなものはないんだろうと思うし、だから言わないし、言えない。
だから、ぼやっと行くのが正しいかのような空気を作る。
不利でも"投票行こう"というんだろうか?
自分に不利なグループや、不利なタイミングでは"投票に行こう"とはきっと言わないだろうなと。
投票率が上がると有利なグループが、なんとなく正しそうな"選挙に行こう"を連呼してるんだろうと思う。
普遍的な"行く理由"なんてないから、理由は言わない。というか、言えない。
なんとなく"投票に行く"のが正しい空気だけをだす。
政治も生きる事も闘いだと思うし、だから立候補者はあの手この手は理解できるし、同時に有権者にも戦略・戦術を選ぶ権利があると思う。
将来や目の前の生活・生きるために、一票を入れに行くか、それとも目の前の勉強や仕事、もしくはそのための休息に時間を割くかの選択は自由だと思う。
ただ、なんとなく"投票に行く"のが正しい空気だけをだす、というのは気持ち悪さを感じるし、どこか怖さも感じる。
投票に行く理由
投票に行く理由は、生きる理由を考えるのと似たようなもんだと思う。
個人的には別に"普遍的な"理由なんてないんだと思う。
理由は個々人の心にしかないと思う。
行く理由が見出せないなら、行かない方が意義があるなら、行かない選択も自由だと。
もちろん行くのも自由。
まとめ
行くも自由、行かないのも自由だと思う。
わざわざ芸能人が集まって、なんとなく"行くのが正しい・かっこいい"みたいな空気を作って、無理矢理行かせる感じは、やっぱりどこか気持ち悪さを感じる。
個別に行って、個別で行ってきましたくらないならあるだろうけど、芸能人が集まって…というのは、そこに感じる意図に、どうも抵抗感がある。
正々堂々、"普遍的な"理由を言ってくれるなら敬意を払いたいし、それを教えてくれるなら感謝もしたい。
逆に、"俺たちは行かない"なんて集まりがあったりしたら、がっつり叩かれるんだろうなと思う。
それも、含めて、気持ち悪いなと思う。
追記: 「立候補します」「立候補しよう」とは何故言わないんだろうか?
ふと思った疑問
「立候補します」「立候補しよう」
とは何故言わないんだろうか?
よっぽど、変化に寄与できるし、意義も大きい。
よっぽど、参加する人、応援する人も多いと。
難しいなら、その環境をつくろう!でもいいと思う。
それは困るのかな?
追記: #わたしも投票します 動画
最後の散歩のくだり…やっぱり違和感が…