「人が本を読まなくなった理由」、「本質」、「生存競争」などについてつらつらと
以下のツイートをみて、感じた事をつらつらと
NHK100分de名著の華氏451度の第3回が面白い、しかしこうやって単純化した見出しを付けてツイートすること自体がここに書かれた内容になってしまうんだよなあ pic.twitter.com/kDNhiDjoXj
— 人間が大好き (@hito_horobe) 2021年6月14日
目次
最初にひとこと
以下、ツイートの内容はおおよそ同意見で否定するものではないです。
また、以下のツイートに添付された画像の内容についても、一部(低俗化の部分)を除いて賛成です
- 人が本を読まなくなった理由
- 社会の加速化
- 反省的思考から反射的思考へ
- 単純化 ダイジェスト化 事なかれの均一化 低俗化
(本読まないのは"低俗"かのような部分は違和感があります。)
「人が本を読まなくなった理由」
ネットの普及が大きい?
おおよそ、ツイートに添付された画像の「人が本を読まなくなった理由」に賛成ですが、その理由として"ネット化"が大きいのかなという気がします。
ネットの方が要点まとまってるから、短時間でポイント把握+足りない分は"よむ"(推測)+実践の方が効率的な事柄の方が多いのかなと。
アウトプットについても、発信するネットツール・サービスの制限や好まれる形(≒「人が本を読まなくなった理由」)での発信により単純化・ダイジェスト化されたものが多いのかなという気がします。
ネットそのものの性質や利用習慣が、そのまま添付画像の「人が本を読まなくなった理由」につながっているのかなという気がします。
生存競争
関連して以下のようなツイートをしたところ
一番気になったのは、本読まないのは"低俗"?
— hmn-sm (@hmn_sm) 2021年6月14日
おおよそ納得感あるけど、"低俗化"はどうなのという気がする
あと、単純に全て"ネット化"な気がする
ネットの方が要点まとまってるから、短時間でポイント把握+足りない分は"よむ"(推測)+実践の方が効率的な事柄の方が多いと思う
以下のような返信をもらったので、元のツイートとは少しそれますが、"本質"について、返答を兼ねてつらつらと
だから要点だけ書かれてる事が単純化に繋がってる事が理解できないんか?頭終わってんね君
— ミホノブルボーン (@mhnbrbooon) 2021年6月15日
本来何故そうなるのかを理解して結論を得るべきなのに、ネットの文字数などにより結論、要点しか書かないから本質を得れなかったら曲解したりする訳、分かる?🤔
確かに、文字数の少ないネット記事よりも書籍の方が比較的、本質を得やすく曲解も少なくなると思います。
ただ、"本質"よりも、"生存競争"や"勝てる"という事が「人が本を読まなくなった理由」につながっているのかなという気がします。
本 対 ネット
以下、「本 対 ネット」の構図を考えてみます。
本かネットか選択するときに、自身の現状・現況(仕事や生活、部活など)で"生き残る"には"勝つ"にはという理由で選択することが多くなるかと思います。
その場合、生き残る上で、勝つ上で必要なのは"本質"よりも"効率"や"実用性"で、つまるところネットの"要点"が重宝されるという気がします。
添付画像の「人が本を読まなくなった理由」について、「低俗化」のワードからも感じるのですが、なんとなく「反射的思考」、「単純化」、「ダイジェスト化」、「事なかれの均一化」が悪であるかのような扱いに違和感があります。
どちらかといえば、一般的な仕事・ビジネスでは求められるものな気がしますし、そうではないものを、"あえて"逆に悪くみれば、"時代遅れ"、"適応できていない"とも見れます。
本質
結局のところ、仕事の内容や個々の状況によって、より"本質"的なものが必要か、"効率"や"実用性"重視で"要点"程度が必要かが変わり、大部分の人には"要点"が必要で、ネットで必要十分な事が多い、それが「人が本を読まなくなった理由」につながっているのかなと思います。
場合によっては、ネットで短時間で要点を掴んだうえで、実践した方がより短時間で本質を掴めるようなケースもあると思います。
"本質"についても、ネットの要点で十分か、書籍で事足りるのか、論文を見るのか、研究なりで追及するのかなど程度があり、「本 対 ネット」は「論文 対 本」と似たような話で、どれが選ばれるかは必要性の問題なのかなと思います。
もう一つの視点として、本よりネットの方がハードルが低いという事もあると思いますが、前述の理由と同様で"要点"で事足りる事が多く本までいかない事が多いのかなと思います。
人は本を読まなくなった?
本という事だと読まなくなったような気がしますが、ネットの浸透により、"情報"や"文字"を読む総量は増えてるんじゃないかなという気がします。
あくまで体感的な話ですが、新聞などを読まなかった人や世代も、ネットのニュースは見るようになった気がしますし、場合によっては異なるサイトで複数視点で情報をチェックすると言う人も増えているんじゃないかと思います。
結局のところ、より本質的な内容が必要な人や事柄については、引き続き本なり論文なりが読まれていると思いますし、要点程度で必要十分な事柄にはよりベターな選択としてネットが選ばれているのだと思います。
ある本から得られる情報を例えば10とすると、今まで10か0の選択だったのが、ネットで1とか5とかの選択ができるようになったのかなと思います。
欲しい情報量は1なのに、10もいらない
ネットがなければ、得なかったであろう情報がネットによって得る人や得る事柄が増えたとすると、本は読まなくなったかもしれないけど、取得する情報量は増えてるのではないかという気がします。
情報過多は、また別の話になりますが、10か0かに、1や5などの"選択"ができるようになったことはいい事かなと思います。
ネットで本質は得られない?
見出しからして、多少ミスリーディングですが、程度の問題で、"要点"だって本質の一部もしくは要素だと思います。
ここでは、"本ほどの本質"は得られないかについてつらつらと
結論から言うと、個人的には、本よりもネットの方が本質が得られるケースは結構多いと思います。
例えば、以下のようなケース
- ニュース記事を複数(多視点)チェック+自己検証
- ネット記事の要点スタートで、原典(論文、公式資料、公式データ、ソースコード)にあたる
- コアな部分をまとめた記事・グラフ + 過去の経験や知識
あと、個人的にはGoogleなどの画像検索で関連画像を数十枚~数百枚をさらっと見るのもおすすめです。
イメージや構造がはっきりして、結構本質的なところが見えてくる、見やすくなることも多い気がします。
原文チェックについては、書籍スタートでも同様と思いますが、ネット記事の要点からスタートしてネットで完結した方が効率的な気がします。
原典へのアクセスのしやすさからすると、場合によっては本よりも本質的な部分に触れやすいのかなという気がします。
まとめ
以下簡単にまとめ
- 「人が本を読まなくなった理由」は"ネット化"によるところが大きそう
- 「本 or ネット」の選択は"必要性"によるところが大きそう
- ネットは使い方次第。必要度に合わせて、要点のみや原典など選択できる